全文検索 キーワード = シャルル

142 件 のできごとがありました


0742/04/02,天平14/02/23
シャルルマーニュ(Charlemagne)(カール大帝)誕生。
0768/09/24,神護景雲2/08/09
ペパン3世(短身王)(Pippin der Kurze)(カロリング家)が、2人の息子シャルル(のちのシャルルマーニュ)とカルロマンに王国を分与したあと、この日死去する。(誕生:0714)。
0768/10/09,神護景雲2/08/24
シャルルマーニュがイワイヨンにて王位に就き、弟カルロマンと共同統治する。シャルルマーニュが唯一のフランクの王になるのは、カルロマンの死去する0771年。
0771/12/04,宝亀2/10/24
カルロマン(Carloman)(カールマン(Karlman))没。(誕生:0751)。フランク国王。兄のシャルルマーニュ(カール大帝)がフランク王国唯一の王となる。
0774/06/04,宝亀5/04/21
シャルルマーニュ(カール大帝)が前義父のデシデリウスを屈伏させる。
0778/08/15,宝亀9/07/18
ローランが、シャルルマーニュのイスパニア遠征でのロンスヴォーの戦いで、バスク人に襲われて戦死する。シャルルマーニュの家臣。
0781/**/**,天応1/**/**
この年、フランク王国のシャルルマーニュが宮廷学校長にイングランド人学者のアルクィン(46)を登用する。
0795/**/**,延暦14/**/**
この年、フランク国王カール1世(シャルル)が、イベリア半島のイスラム勢力の侵入防止のため、ピレネー山脈南にスペイン辺境伯領を設置する。
0799/04/25,延暦18/03/16
教皇レオ3世が、ローマ人によって涜神罪で逮捕され暴行まで受けるが、やっとの思いで逃れシャルルマーニュ(カール)に保護を求める。
0800/11/24,延暦19/11/05
シャルルマーニュがイタリアに南下し、ローマに到着する。
0800/12/23,延暦19/12/04
教皇レオ3世が、ローマ人とフランク人の会議で潔白の宣誓によって無実を証明する。会議がシャルルマーニュに帝国再興を要請する。
0800/12/25,延暦19/12/06
シャルルマーニュがミサ聖祭に出席のため聖ペテロ寺を訪れると、レオ教皇が突然シャルルの頭上に帝冠をおき、「ローマ人の皇帝万歳」ととなえる。
0801/12/28,延暦20/11/20
シャルルマーニュがアラブ・イスラム軍を破ってバルセロナを征服する。
0814/01/28,弘仁5/01/04
シャルルマーニュ(Charlemagne)(カール大帝(Karl der Grosse))がアーヘンで没。71歳(誕生:0742/04/02)。ルイ敬虔帝(ルードヴィッヒ1世)が後継者となる。
0877/10/06,元慶1/08/26
カール2世(禿頭王)(シャルル2世)(Charles II le Chauve)没。54歳(誕生:0823/06/13)。西ローマ皇帝(西フランク王)。
0879/09/17,元慶3/08/28
フランス・カロリング家のシャルル3世(単純王)(Charles III,le Simple)誕生。
0893/01/28,寛平5/01/07
西フランクで、カロリング家のシャルル3世が即位する。
0898/01/01,寛平9/12/05
ウードが没し、西フランク王国を分治していたカロリング家のシャルル3世(単純王)(19)が西フランクを単独統治する。
0923/06/15,延長1/04.28
ロベール1世が、シャルル3世を破って王位を奪う。
0929/10/07,延長7/09/02
シャルル3世(単純王)(Charles III le Simple)没。50歳(誕生:0879/09/17)。フランス王。
1266/01/06,文永2/11/29
アンジュー伯シャルルが、シチリアの王に即位する。
1266/01/15,文永2/12/08
シャルル・ダンジュー(アンジュー家のシャルル1世)がリヨンに集結させていた軍隊がローマに到着する。
1266/01/20,文永2/12/13
シチリア国王と対峙するためローマを出発したシャルル・ダンジューが全軍を率いて南下する。
1266/02/26,文永3/01/20
シチリア国王マンフレートとフランス王の末弟シャルル・ダンジューがイタリア南部のベネヴェントで会戦する。戦いはその日のうちに終わり、シャルルが圧勝する。
1268/08/23,文永5/07/14
タグリアコッツォ附近でシャルル・ダンジューとコンラディンが戦い、コンラディンは敗走する。
1268/10/29,文永5/09/22
コンラディン(Conradin,Conrad the Younger)がナポリで処刑される。16歳(誕生:1252/03/25)。ドイツ皇帝フリードリッヒ2世の孫でコンラート4世の息子。ナポリ・シチリア王国を奪還しようと兵を進めたがシャルル・ダンジューに敗北した。
1281/07/03,弘安4/06/16
ヴェネツィアとシチリア王シャルルが、コンスタンチノープルにラテン帝国の復活を図ってオルヴィエト同盟を締結する。
1282/03/30,弘安5/02/19
シャルル・ダンジューに支配されていたシチリア島民が反乱を起こし、駐屯していたフランス人が全員殺される。
1282/08/06,弘安5/07/02
シャルル・ダンジューとシチリア島民の総力戦が始る。
1282/09/02,弘安5/07/29
アラゴン王ペドロ3世がバレルモに入り、市政府からシチリア王の冠を受ける。シャルル・ダンジューはカラブリアのレッジオにひきあげる。
1283/06/01,弘安6/05/05
市政府からシチリア王の冠を受けていたペドロがシャルル・ダンジューと決闘することになっていたが、時間の指定がなかったためにそれぞれが勝利を宣言して終わる。
1285/01/07,弘安7/11/30
シチリア奪回もカラブリアも諦めたシャルル・ダンジュー(Charles d'Anjou)没。(誕生:1227)。
1301/11/01,正安3/09/30
フランス弟王シャルル・ド・ヴァロワがフィレツェに入る。
1322/01/03,元亨1/12/15
フランスで、シャルル4世が即位する。
1324/07/**,元亨4/06/**
この月、シャルル4世がエドワード2世の在仏全所領の没収を宣告する。サン・サルド戦争が始まる。
1328/02/01,嘉暦2/12/20
シャルル4世(端麗王)(Charles IV,Le Bed)没。(誕生:1294)。フランスのカペー朝が断絶する。
1349/07/16,正平4(南);貞和5(北)/06.01
フランス王太子シャルルが、ドーフィネ地方を相続する。
1358/02/23,正平13(南);延文3(北)/01/15
エティエンヌ・マルセルの率いるパリの民衆が宮殿に乱入する。王太子シャルルが、大勅令を尊重することを約束する。
1358/03/27,正平13(南);延文3(北)/02/17
王太子シャルルがパリを脱出し、コンピエーニュで三部会を召集する。
1358/08/02,正平13(南);延文3(北)/06/27
王太子シャルルがパリに帰還し、秩序を回復する。
1364/04/08,正平19(南);貞治3(北)/03/06
ジャン2世、没。王太子シャルル(26)がシャルル5世として即位する。44歳(誕生:1319/04/16)。フランス。
1365/03/06,正平20(南);貞治4(北)/02/13
フランスのシャルル5世が、ナバラと和平を結ぶ。
1380/09/16,天授6(南);康暦2(北)/08/17
シャルル5世(賢明王)(Charles V,Le Sage)没。42歳(誕生:1338/01/21)。フランス王。
1382/03/01,弘和2(南);永徳2(北)/01.16
シャルル6世が新設した税に対して反対した市民が、マイヨタン一揆を起こす。
1392/08/05,元中9(南);明徳3(北)/07/16
フランス国王シャルル6世が発狂し、国内貴族の台頭が始まる。
1418/12/26,応永25/11/29
フランスの王太子シャルルが、摂政に就任することを宣言する。
1419/09/10,応永26/08/21
ジャン無怖侯(Jean sans Peur)(ブルゴーニュ侯)が、モントローの橋の上の協調の交渉の際、王太子シャルルの手勢によって殺される(モントローの事件)。48歳(誕生:1371/05/28)。
1419/12/25,応永26/12/09
ブルゴーニュ公フィリップが、シャルル王太子に対抗して、ヘンリー5世と同盟を結ぶ。
1420/05/21,応永27/04/09
フランスのブルゴーニュ公フィリップ2世がイングランド王ヘンリー5世とトロア条約を締結する。シャルル6世死後の王国統治権譲渡を約束する。
1420/06/02,応永27/04/21
ヘンリー5世が、シャルル6世の娘のカトリーヌと結婚する。
1422/10/21,応永29/10/06
シャルル6世(Charles VI)没。53歳(誕生:1368/12/03)。フランス国王。
1422/10/30,応永29/10/15
フランスの王太子が、シャルル7世として即位する。
1429/02/23,正長2/01/20
イギリス軍からオルレアンの町を解放し確保したいシノン城の王太子シャルルのもとへ、数人の騎士に護衛されて予言者と自称するジャンヌ・ダルクが現れる。
1429/07/17,正長2/06/16
王太子シャルルがランス大司教ルニョーから国王塗油の秘蹟を受け、フランス国王シャルル7世となる。
1436/04/13,永享8/03/27
シャルル7世が、イングランド軍からパリを奪回して、内政改革を始める。
1438/07/07,永享10/06/15
フランス国王シャルル7世が、国家教会主義を成立させる「ブールジュの国事詔書」を発布する。
1453/10/19,享徳2/09/17
ボルドーが、シャルル7世に降伏する。
1461/07/22,寛正2/06/15
シャルル7世(Charles VII)没。58歳(誕生:1403/02/22)。フランス国王。
1467/07/15,応仁1/06/14
フィリップ2世(Philippe II)(善良公)没。70歳(誕生:1396/07/31)。ブルゴーニュ公。息子のシャルル勇胆公が即位する。
1467/10/28,応仁1/10/01
シャルルが、リージュ市民の反乱を鎮圧する。
1468/07/03,応仁2/06/14
ブルゴーニュ公シャルルが、イングランド王エドワード4世の妹のマーガレットと結婚する。
1468/10/14,応仁2/09/28
ルイ11世が、ブルゴーニュ公シャルルと会見し、ペロンヌの条約を結ぶ。
1472/06/27,文明4/05/21
ブルゴーニュ公シャルルが、ボーヴェを攻略する。
1472/11/03,文明4/10/03
ルイ11世が、ブルゴーニュ公シャルルと和解する。
1473/09/30,文明5/09/09
フリードリッヒ3世とブルゴーニュ公シャルルがトリーアで会見する。
1474/04/04,文明6/03/18
スイス同盟が、ブルゴーニュ公シャルルに対抗して、オーストリアなどの諸都市と防衛同盟を結ぶ。
1474/07/25,文明6/06/12
ブルゴーニュ公シャルルが、イングランド王エドワード4世と同盟を結ぶ。
1475/06/22,文明7/05/19
モラーの戦い。スイス同盟軍がモラー(ムルテン)城のブルゴーニュ公シャルルの侵攻を迎え打ちこれを破る。
1476/06/22,文明8/06/01
スイス軍が、モラの戦いでブルゴーニュ公シャルルを破る。
1477/01/05,文明8/12/20
シャルル勇胆公(Charles,le Temeraire)がナンシーの戦いでロレーヌ・スイスの両軍に敗北し戦死する。43歳(誕生:1433/11/10)。ブルゴーニュ公。ブルゴーニュ公国の大半はフランスに属することになる。
1477/08/19,文明9/07/11
ハプクスブルク家の王子、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ3世の子、オーストリア大公マクシミリアン(18)が、ブルゴーニュ公シャルル勇胆公の遺児マリと結婚する。この後、ハプスブルク家は結婚を通して領土拡大を図っていく。
1483/08/30,文明15/07/27
ルイ11世(Louis XI)没。60歳(誕生:1423/07/03)。子のシャルル8世が13歳で即位する。
1491/12/13,延徳3/11/12
ブルターニュ公女アンヌが、フランス国王シャルル8世と結婚する。フランス国土の統一に向かうことになる。
1492/11/03,明応1/10/13
フランス王シャルル8世が、ヘンリー7世と和約し、イングランド王位僭称者パーキン・ウォーベック支援の中止を約す(エタープルの和約)。
1493/01/19,明応2/01/02
シャルル8世が、スペインとバルセロナ条約を結ぶ。ルシヨンとセルダーニュが返還される。
1494/08/23,明応3/07/23
シャルル8世のフランス軍がグルノーヴルを出発する。
1494/09/03,明応3/08/04
シャルル8世がアルプスを越え、サヴォイア公国の領内に入る。
1494/09/**,明応3/08/**
この月末、シャルル8世がアスティに入る。
1494/10/14,明応3/09/15
シャルル8世がパヴィアに入る。
1494/10/18,明応3/09/19
シャルル8世がピアチェンツァに入る。
1494/11/08,明応3/10/11
シャルル8世がルッカに入城する。
1494/11/09,明応3/10/12
シャルル8世ガピサに入城する。シャルルはサン・マルコ修道院長サヴォナローラと会う。サヴォナローラは、フィレンツェ神権政治を確立する。
1494/11/22,明応3/10/25
シャルル8世がフィレンツェで全キリスト教徒に向かって、ナポリ征服後に十字軍遠征を行うこと、ボルジアを退位させること、の2つの宣言を行う。
1494/11/28,明応3/11/01
シャルル8世がフィレンツェを出発する。
1494/12/02,明応3/11/05
シャルル8世がシエナに入城する。
1494/12/10,明応3/11/13
シャルル8世がヴィテルボに入城する。
1494/12/24,明応3/11/27
「ローマ市内に居るナポリ軍をローマから撤退させよ」とのシャルル8世の通告を持った使節がバチカンに入る。
1494/12/31,明応3/12/04
フランス国王シャルル8世の率いるナポリ遠征軍がローマに到着する。
1495/01/02,明応3/12/06
ローマ教皇特使として、子のチェーザレ・ボルジアがシャルル8世の宿所に向かう。
1495/01/25,明応3/12/29
シャルル8世がサン・パウロ寺院でのミサに出席する。
1495/01/28,明応4/01/02
シャルル8世が、チェーザレ・ボルジアを人質としてローマを出発する。
1495/02/05,明応4/01/10
チェーザレ・ボルジアに逃げられたシャルル8世がヴェレトリを出発してナポリへ向かう。
1495/02/22,明応4/01/27
シャルル8世が、ナポリ王国を征服する。
1495/05/20,明応4/04/26
神聖同盟が発足したため、シャルル8世がナポリを後にする。
1495/06/01,明応4/05/09
シャルル8世がローマに着く。
1495/06/03,明応4/05/11
シャルル8世が、教皇に会えぬままローマを離れる。
1495/07/06,明応4/06/14
シャルル8世が、神聖同盟軍に敗退する(フォルノーヴォの戦い)。
1495/11/**,明応4/10/**
この月、シャルル8世が、ナポリの支配を断念してイタリアから撤退する。
1498/04/08,明応7/03/17
シャルル8世(Charles VIII)没。27歳(誕生:1470/06/30)。フランス王でルイ11世の子。ヴァロア家の直系が絶える。ヴァロア・オルレアン家のルイ12世が継ぐ。
1514/01/09,永正10/12/14
アンヌ・ド・ブルターニュ(Anne de Bretagne)没。36歳(誕生:1477/01/25)。ブルターニュ公フランソア2世の娘で、シャルル8世およびルイ12世の王妃。
1523/09/06,大永3/07/27
ムーランで、シャルル・ド・ブルボン元帥が、フランソワ1世に対して反乱を起こす。
1559/04/03,永禄2/02/26
フランスが、スペインとの間で和約を結ぶ。これでフランスはシャルル8世以来の征服地の大部分を失うことになる。
1560/12/05,永禄3/11/18
フランソワ2世(Francois II)没。16歳(誕生:1544/01/19)。シャルル9世が即位し、母后カトリーヌ・ド・メディシスが摂政となる。メアリー・ステュワートの夫。
1564/01/24,永禄6/12.11
シャルル9世が、母の摂政カトリーヌ・ド・メディシスと共に国内巡幸を行う。
1571/09/12,元亀2/08/23
コリニーが、シャルル9世と和解して宮廷に戻る。
1572/08/18,元亀3/07/10
パリで、新教徒の指導者アンリ・ド・ブルボンとシャルル9世の妹でカトリックのマルグリートとの結婚式が行われる。
1573/05/11,元亀4/04/10
ポーランドのヤギエウォ朝が断絶し、初の国王選挙がワルシャワで行われてフランス王シャルル9世の弟アンリ・ド・ヴァロアの王位が決まる。
1574/05/30,天正2/05/10
シャルル9世(Charles IX)没。23歳(誕生:1550/06/27)。フランス王。アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの子。ポーランド国王ヘンリクが、アンリ3世として即位するためポーランドを去る。
1574/07/18,天正2/07/01
前年ポーランド国王となったシャルル9世の弟アンリ・ド・ヴァロアがフランスに帰国し、アンリ3世として即位する。
1703/05/15,元禄16/03/30
シャルル・ペロー(Perraut,Charles)没。75歳(誕生:1628/01/13)。「赤頭巾」「シンデレラ」などのフランスの童話作家。
1778/02/06,安永7/01/10
アメリカのベンジャミン・フランクリン(72)とフランス外相シャルル・ヴェルジェンヌ(61)の間で、アメリカ・フランス間の和親通商条約と同盟条約が成立する。
1783/11/10,天明3/10/16
フランスで、シャルル・ド・カロンヌ(49)が財務総監に就任する。
1784/01/08,天明3/12/16
[ロシア暦1983年12月28日]フランスの外相ジャルル・ヴェルジェンヌが仲裁でオスマン朝とロシアの間のクリミア争奪戦争が終結する。ロシアはクリミアを併合する。
1785/04/14,天明5/03/06
フランスの財務長官シャルル・ド・カロンヌ(51)が、東インド会社を再建する。
1787/02/13,天明6/12/26
シャルル・ヴェルジェンヌ(Vergennes,Charles)没。69歳(誕生:1717/12/20)。フランスの外相。モンモランが外相となる。
1794/05/18,寛政6/04/19
シャルル・ピシュグリュのフランス軍が、トゥルコワンで大同盟軍を破る。
1794/06/25,寛政6/05/28
フランス軍がシャルルロワを占領する。
1799/02/20,寛政11/01/16
ジャン・シャルル・ボルダ(Borda,Jean-Charles)没。65歳(誕生:1733/05/04)。メートル法制定に尽力したフランスの物理学者で測定学者。
1804/02/28,享和4/01/18
ナポレオン暗殺未遂事件で、シャルル・ピシュグリュ将軍が逮捕される。
1806/08/23,文化3/07/10
シャルル・クーロン(Coulomb,Charles)没。70歳(誕生:1736/06/14)。物理学者でクーロンの法則を発見した。
1811/03/20,文化8/02/26
ナポレオンとマリー・ルイーズの間に皇子が誕生する。フランソワ・シャルル・ジョゼフと名付けられる。後のローマ王、ライヒシュタット公。
1815/06/14,文化12/05/07
ナポレオンが12万の兵でシャルルロワに進出し、プロシア軍を敗走させる。
1824/09/26,文政7/08.04
ルイ18世(Louis XVIII)没。68歳(誕生:1755/11/17)。フランス王。シャルル10世が即位する。
1825/05/20,文政8/04/03
フランス、ルイ18世死去で前年即位していたシャルル10世が戴冠式を行う。
1827/04/11,文政10/03/16
フランス、シャルル10世が相次ぐ反政府デモに対応して強気の議会解散を行う。
1829/08/08,文政12/07/09
フランス、シャルル10世が、極右反動家のポリニャック(49)を首相に任命する。
1830/03/18,文政13/02/24
フランス、シャルル10世が下院を解散する。
1830/07/30,文政13/06/11
フランス、シャルル10世がパリから逃亡する。
1830/08/02,文政13/06/14
シャルル10世が退位を宣言してイギリスに渡る。
1870/09/23,明治3/08/28
メリメ(Merimee,Prosper)没。66歳(誕生:1803/09/28)。「シャルル9世年代記」の作家。
1875/01/05,明治8/01/05
シャルル・ガルニエ(50)の設計によるパリのオペラ座が、14年間の工事を終えて完成する。
1882/01/26,明治15/01/26
フランスのレオン・ガンベッタ内閣が、エジプト問題で支持を得られず辞職する。シャルル・フレシネ内閣が成立する。
1921/04/07,大正10/04/07
シャルル・ド・ゴールがイヴォンヌ・ヴァンドルーと結婚する。
1927/05/08,昭和2/05/08
フランス空軍のシャルル・ナンジェンセとフランソワ・コリがニューヨークに向かってパリを離陸するが、まもなく消息を断つ。
1941/09/24,昭和16/09/24
ロンドンで、シャルル・ド・ゴールのフランス・レジスタンス国民会議(自由フランス)が創設される。
1945/01/15,昭和20/01/15
ローマ教皇とシャルル8世の間に協定が成立する。ナポリへのフランス軍の通行の自由が認められることなど。
1945/01/16,昭和20/01/16
シャルル8世がローマ教皇宮に入る。教皇アレッサンドロ6世の前にシャルルはひざまずく。
1951/06/18,昭和26/06/18
フランス総選挙で、中道連立派が共産党を抑えて政権を維持し、シャルル・ドゴールの率いる国民連合が第1党となる。
1964/08/18,昭和39/08/18
レバノンで、シャルル・ヒルーが大統領に就任する。
1968/11/06,昭和43/11/06
シャルル・ミュンシュ(Muench,Charles)没。77歳(誕生:1891/09/26)。フランスの指揮者。
1998/04/08,平成10/04/08
フランスの中道政党UDF(フランス民主連合)が、シャルル・ミヨン元国防相ら3人を除名する。極右と連携していたとの理由。
1999/03/02,平成11/03/02
マルセイユ発パリ・オルリ空港行きのエールフランス航空機がハイジャックされ、シャルル・ドゴール空港に着陸する。犯人は投降し乗客・乗員82人は無事。

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